FC2ブログ

Isahaya - 終わりの見えない干拓事業


1997年に諫早湾の水門(当時「ギロチン」と呼ばれた)が閉鎖されて以来、この干拓事業は迷走し続けています。
私は当時ペーペーの記者でしたが、環境庁(当時)を担当していたことから、諫早湾の問題も取材し続けていました。

こちらが、閉門から50日後の湾内の干拓地の姿です。私が取材したときに撮影したもので、The Japan Times紙面に掲載されました。

isahaya.jpg
湾内が干からび始め、魚の死骸が大量に見られました。

あれから21年、司法の場でこの問題は未だに続いています。
今週こんなニュースがありました。


The Fukuoka High Court has ruled that the floodgates of a dike at Isahaya Bay in Nagasaki Prefecture should remain closed, favoring the central government in a protracted legal battle over a land reclamation project that has been opposed by local fishermen.
福岡高裁は、長崎県諫早湾の潮受け堤防の水門は閉鎖されたままにすべきとの判決を下したが、これは地元の漁業者の反対を受けている干拓事業をめぐる長年の法廷論争での政府の立場を支持したものだ。

 floodgate  水門
 dike  堤防
 protracted  長引いた
 reclamation  干拓

諫早湾の水門を開けるか閉めたままにするかをめぐっては、複数の訴訟や相反する判決や仮処分が出ていて、国・農業者と漁業者との間で、もうグダグダの状態になっているようです。

90年代当時には、有明海の豊かな生態系を保護すべきとの観点から干拓事業に異議を唱えていた地元のリーダー、故・山下弘文氏によく取材をさせていただきました。

閉門から21年経ち、かつてはムツゴロウが飛び跳ねていた生態系はずいぶんと変わり果ててしまいました。
司法による決着が得られたとしても、原状回復という道は科学的には難しいかもしれません。
漁業者への補償問題も頓挫しているようで、まだまだ先は見えません。
関連記事

0 Comments

Post a comment